2017-04-27 第193回国会 参議院 農林水産委員会 第10号
また、北海道から沖縄まで全国約一万人の農業青年で組織される全国農業青年クラブ連絡協議会、通称4Hクラブで昨年度まで会長の職に就いておりまして、現在は顧問をしております。 前職は愛知県内に本社を置く自動車企業の店舗の統括マネジャーという仕事をしておりましたので、実は農業には全く接点がなく、知識も人脈も何一つありませんでしたが、農業大学校や農業法人での研修を経て、農家世帯となることができました。
また、北海道から沖縄まで全国約一万人の農業青年で組織される全国農業青年クラブ連絡協議会、通称4Hクラブで昨年度まで会長の職に就いておりまして、現在は顧問をしております。 前職は愛知県内に本社を置く自動車企業の店舗の統括マネジャーという仕事をしておりましたので、実は農業には全く接点がなく、知識も人脈も何一つありませんでしたが、農業大学校や農業法人での研修を経て、農家世帯となることができました。
それと同時に、現在、北海道から沖縄までの日本全国三十九歳以下の農業青年一万三千名が所属する全国農業青年クラブ連絡協議会、通称四Hクラブの第六十一代目の会長をさせていただいております。
また、普及組織、関係機関がございますので、そういうものを総動員いたしましてそれをバックアップしていくということも必要だと思いますし、また、若い農家は相互の連携ということも必要でございますので、農業青年クラブの活動とか、青年の意見交換会とか、そういうものを通じまして幅広く対応していきたいということで、まさにここは力を入れていかなくちゃいけないと思っているところでございます。
このため、各県にあります農業改良普及センターが中心となりまして、青年農業者等育成センターあるいは市町村といいました関係機関が連携しながら、一つには、水利用に関する決まり事などの地域慣行等に関する情報の提供を行ったり、あるいは地域の青年クラブ等への加入促進を図ったり、そしてまた既に就農した青年農業者による農業技術研究等の自主的な活動に対します支援といったような取り組みを積極的に行いまして、新規参入者が
B農協、農業青年クラブのリーダー、麦作団地などで頑張っていたが、数千万の負債で行方不明になり、老夫婦だけ取り残されてサラ金におびえております。 C農協、安代の農協などはまだいい方だ、うちでは二月で八億円を抱えた畜産農家がある、億単位の負債農家は二けたあると言っております。 D農協、ことしの正月、二名の農民が相次いで自殺しております。
このため、現在、農業改良普及員、生活改善普及員とも、農業後継者としての人物の発掘、指導を青年クラブ等の活動を通じまして実施をいたしております。また、県立農林大学校におきましては、現行の学校教育とは異なるカリキュラムを独自に編成をいたしまして、理論を中心とする座学を二分の一、経営実践学を半分といたしまして、二年間全寮制をもって運営をいたしております。
もう一つは、自立経営指標というものを定めまして、農家そのものが農業経営によって採算あるいは経済余剰が得られるべき経営点はどういう点であろうかというものをお示しをしまして、それに基づいた青年クラブでの話し合いあるいは農家集落での話し合いによりまして利用集積を図る、一定規模を設ける、あるいは資金援助措置によりまして施設園芸等の措置を講じながら経営内容を公開あるいは宣伝をいたしまして、魅力ある農業という形
補助金を出すとか交付金を出すとか、これはたとえば何々会、婦人会なら婦人会、青年クラブなら青年クラブがあって、そこに補助金を出したというなら、その青年クラブとか婦人会は全部対象になりませんか。
これは農業青年クラブの報告でしょう。それから、ほかの地方にもございます。しかし、私は、それを全般的に一律なものだとも考えません。しかし、そういうところもあるとすれば、一律にあなたのお考えのように二町五反なければならぬというようなことにもならない。
だから、その点は一つの目標を定めておりますから、それは、地域的に、経営の内容において——すでに最近でも、地方における農村青年クラブ員の報告に基づきましても、二人の経営で一町足らずで総収入百五十万円入れておる現実がございます。こういうことは全国的にそうだとは申しません。
これはもうあなた御存じの通り、現在ある程度、満足とはいかぬにしても、農家として人並みの暮らしをしているというようなことが、大体一町五反以上の場合に相当にうまくいっている、そういうものが六十万戸ほどありますが、それをそのままとは言いませんけれども、そういう地方においてもまた経営内容というものを考えれば、最近農村における青年クラブの実際の体験に基づくやり方というものを見ますると、八反歩で百五十万円の収益
特にある地方の実例のごときは、一つの村の中にいわゆる青年の仲間入りした連中だけが寝泊りするところのクラブ、俗に青年小産、青年クラブ、こう言っておるのですが、そういうのを設けて、自分の家庭で寝泊りしないというような風習を持っているところが相当あるのです。
わが国においては、明治初年この方、全国各地に、青年会、青年クラブ、青年団などの名で、社交、奉仕、娯楽、修養などを目的とする青年団が存在していて、政府は明治末期ごろからその活用に着眼していたが、第一次世界大戦の勃発とともにその積極的統制にのりだし、大正九年ごろまでには、これを国家主義的修養団体としてほぼ全国的に編成しおえ、大正十三年十月には、大日本連合青年団が設立された。
そしてこれは堀田というその代表の一人が私に話したことでありますが、一筆調査のことについて部落の青年クラブへ寄つてくれということで、青年クラブへ出て一筆調査の採草地の問題について協議にあずかつた。しかしあとから聞くとわれわれは地主の代表である。しかし堀田と森重信の二人は地主の代表であるということは何も聞いておらない。前のときに出席もせず、そういうことは私は知らないで出席した。